はじめに:観光地で起きた衝撃的な事件
2025年5月、インド北部の観光地パハルガム(Pahalgam)で発生した襲撃事件が、インドとパキスタンの間に再び緊張をもたらしました。事件の詳細は以下のリンクなどで報道されています。
それに対して、インドがパキスタン内の(インドが主張する)関連施設を攻撃し、さらにそれに対してパキスタンが反撃をするという事態になりました。これらの一連の動きは、この数年の実効支配線周辺での小競り合いではなく、紛争地帯ではない場所に対する行動ということで従来にはない緊張感が漂いました。
インドがパキスタンに対して行った作戦は「シンドール作戦(OPERATION SINDOOR)」と呼ばれ、連日大きく報道されました。
事件後すぐに、在インド日本大使館からも注意喚起のメールが送られ、在住邦人や旅行者に対して「不要不急の外出を避けるように」との警告が出されました。
ジャンムー・カシミール準州パハルガム近郊で発生したテロ事案に係る注意喚起(2025年4月23日)
【緊急】インド軍によるパキスタンへの軍事攻撃に伴う注意喚起(その1)(2025年5月7日)
●7日、インド政府は、インド軍がパキスタン国内に対して軍事攻撃を行った旨発表しました。
●邦人の皆様におかれましては、不要不急の外出を避け、情報を注視するようお願いします。詳細は追って連絡します。
一部の企業では、日本からの出張のキャンセルや、家族の日本への退避も検討されていたようです。この事件は、インド在住者にとって「国境の緊張」が決して他人事ではないことを強く印象づけました。
なお、私は今回事件の舞台となってしまったパハルガムを訪れたことがあるのですが、本当に「美しい」という言葉がぴったりな素晴らしい場所でした。特に木の緑と流れる川の色の対比が何とも言えない美しさです。本題に入る前にいくつか写真をご覧ください。また道中に数多くのモスクを見つけることができ、イスラム教徒が多数住むエリアであることも実感しました。




写真はカシミア・ゴートではないと思いますが、毛足の長いヤギがあちこちに歩いています



おさらい:インド・パキスタン対立の原点は「分離独立」
今回の両国関係の緊張に至る簡単な背景をおさらいしたいと思います。
1947年、インドとパキスタンはイギリスから独立時に分かれて誕生
1947年、イギリスから独立したインドとパキスタン。当初、ヒンドゥー教徒が多い地域がインド、イスラム教徒が多い地域がパキスタンとされました。しかし、一部の地域、特にジャンムー・カシミールは、宗教分布と政治的判断が一致せず、帰属があいまいでした。
カシミールの王がインドを選んだことで対立勃発
カシミール地方は、ムスリムが多数派であったにも関わらず、当時の王がインドへの帰属を選んだことが火種に。これをきっかけに、1947年〜48年に第一次印パ戦争が勃発しました。
その後も以下のような衝突が繰り返されてきました。
- 第二次印パ戦争(1965)
- カルギル紛争(1999)
今回の緊張の高まりに至る以前から、「Line of Control(LoC:実効支配線)」付近では散発的な小競り合いが起きており、両国は長年にわたって不安定な停戦状態にあります。
近年のインドの国際社会における存在感の高まり(一方で、パキスタン経済は長期にわたり不況に見舞われています)、そして、何より両国ともに核保有国であるという事実が、両国関係の重要度を示しています。
現地で感じた“国境”のリアル
私は今回の話題の中心である「カシミール地方」のいくつかのエリアを訪問したことがあります。具体的には、スリナガル(Srinagar)、ラダック地方(Ladakh)やスピティ渓谷(Spiti Vally)を旅したことがあるのですが、そこでは国境紛争のリアルを感じることができます。今回はそのいくつかを紹介したいと思います。
● インドから見た国境線
「カシミール地方」には、インド・パキスタン・中国それぞれが実効支配している地域があります。具体的には以下の通りです。

もちろん、インドはパキスタン・中国が実効支配している地域を含めて自国の領土として主張しているわけです。なお、インドで発行される地図はこのインドが主張する国境線を使用しなければならいことが法律で規定されています。
The Survey of India Act(インド測量法, 2005年)
“No person shall print, publish or distribute any map or geospatial information which does not conform to the official version approved by the Government of India.”
(訳:インド政府が承認した公式版に準拠しない地図や地理空間情報を印刷、出版、配布することは禁じられている。)
以前、インドを紹介する社内資料を作成した際に、インド人の同僚から、私が使用した地図がこの法律に沿っていないことを指摘されたことがあります。インド人にはそれほどこの事実が浸透しているということだと思います。
● Google Mapで見てみると?
このエリアを旅行するにあたり、Google Mapを見ているとあることに気が付きました。インド国内からアクセスをすると国境線はインドが主張する最大範囲のものになっている一方で、国外(日本)からアクセスをすると、実効支配を示す線が点線で示されています。確認はしていませんが、パキスタン・中国それぞれの国内からアクセスすると、きっと各国が主張する国境が実線で示されているのではないかと想像します。

なお、余談ですが、ということは?と思い、「日本海」を国内外からアクセスしてみると同じような状況でした。日本からアクセスすると「日本海」と報じされるのに対し、インド国内からアクセスすると「日本海(東海)」と表示されました。

● Inner Line Permit(ILP)の取得義務
たとえばラダック地方など、国境に近い地域では「インナーライン・パーミット(Inner Line Permit)」という許可証の取得が必要です。これは外国人観光客にとってはやや煩雑な手続きですが、それだけインド政府が国境地帯の管理に慎重であることの表れでもあります。

● 国境周辺エリアでは軍事車両が日常風景
ラダック地方の中心地・Lehでは、軍用車両が日常的に行き交っています。しかも一台や二台ではなく、時には何十台もの軍用車両が連なって走っていることもあり、その存在感は圧倒的です。
これは、ラダック地方で見かけた風景です。
● スリナガル空港から市内へ:50mおきに兵士が
ジャンムー・カシミール州の中心都市スリナガルでは、空港から市内に向かう道沿いに、約50メートル(筆者感覚。実際にはもう少し間隔があいていたかも)おきに武装兵士が立って警戒にあたっている光景が見られました。これは旅行者にとっては衝撃的であり、「ここが紛争地である」という事実を否応なく突きつけられます。
◆平和な観光地にもある“国境”の影
一見すると美しい観光地であるパハルガムやレー、スリナガル。しかし、その背後には長年にわたる国境問題と軍事的緊張が存在しています。今回の事件は、外国人在住者・旅行者としては普段見過ごしがちな「国境の現実」を強く意識させるものでした。