ヒンドゥー教徒はなぜ牛を食べないのか?

インドで考えた

あなたはインドと聞いて何を思い浮かべますか?

さまざまな答えが考えられますが、私がよく耳にするキーワードには「混沌」「人口」「ヒンドゥー教」「カースト」「カレー」などがあります。

今回はその中から「ヒンドゥー教」、特に「なぜヒンドゥー教徒は牛を食べないのか?」というテーマに焦点を当てて解説していきます。

インドの日常における牛

私が初めてインドを訪れたのは、2000年初頭のことです。当時は街の至るところに牛が歩いていましたが、現在では、少なくとも幹線道路や街の中心部で見かけることは少なくなりました。しかし、一歩路地に入ると、依然として多くの牛が目に入ります。

本題に入る前に、まずはインドの日常風景の一部として、街中にいる牛の写真をいくつかご紹介したいと思います

デリー:渋滞中を闊歩する牛
コルカタ:近代的なビルと牛
コルカタ:近代的なビルと牛
バンガロール:Bull Temple 文字通り牛を祭るお寺
バンガロール:Bull Temple 文字通り牛を祭るお寺
バンガロール:Bull Temple 入口の門が牛の形

ヒンドゥー教徒にとっての牛とは?

ヒンドゥー教では、牛は特別な存在です。その背景には、古代インドの宗教観や生活習慣が関係しています。

▶ ヒンドゥー教の神話と牛のつながり

ヒンドゥー教の多くの神々が牛と深い関わりを持っています。例えば、シヴァ神の乗り物である「ナンディ」という聖なる雄牛や、クリシュナ神が幼少期に牛飼いだったことなどが挙げられます。これらの神話が、人々の牛への信仰心を強めています。

▶ ヴェーダ経典における牛の位置づけ

ヒンドゥー教の聖典『リグ・ヴェーダ』や『マヌ法典』には、牛を保護すべきであるという記述が見られます。牛は農耕に欠かせない動物であり、インドの伝統的な社会では経済的にも重要でした。こうした宗教的・社会的背景が、現在の「牛を食べない文化」につながっています。

▶ カースト制度と菜食主義

インドの社会にはカースト制度(ヴァルナ制度)があり、高位のカーストほど菜食主義を重んじる傾向があります。特にバラモン(司祭階級)は、純粋性を重視し、動物の肉を避ける文化があります。


牛が神聖な動物になるまでのストーリー

ヒンドゥー教徒にとっての牛に関する説明は、よく聞く“教科書的なもの”ですが、私はそれらの理由はやや「後付け的」なものだと解釈しています。では、牛が神聖な動物とみなされ、牛肉を食べない本当の理由は何なのでしょうか? 牛が神聖化されるまでの過程が興味深いため、ぜひ共有させてください。このストーリーこそが、牛が神聖視される理由を理解するための鍵になります。

▶人間は肉を欲する生き物である

まず大前提として、地域や文化・文明を問わず、肉をどうやって手に入れるかは人類の主要な課題でした。その理由は非常にシンプルです。生物学的に見て、人間にとってアミノ酸やその供給源となるタンパク質を摂取する上で、肉ほど効率的な食材はないからです。

▶ 古代の牛の扱い

この前提を踏まえ、最初に重要な点を述べておきます。インド(国としてではなく、現在のインドがある地域)およびヒンドゥー教の歴史において、牛は最初から重要な存在ではなかったということです。むしろ、古代においてはインドの基本4カーストの最上位であり、現在では「神聖な牛」という概念において重要な役割を果たすバラモン(司祭階級)でさえ、ヴェーダの祭祀の一環として牛を供犠し、食していました。これは、人間が肉を求める本能を考えれば、ごく自然なことだといえます。

▶ 人口増加の影響と牛肉生産の非効率性

しかし、時代が進み、人口の増加とともに農耕社会が発展するにつれ、牛の価値が変化し、やがて神聖視されるようになりました。牛肉を得るためには非常に多くの穀物が必要であり、牛を食べるよりも、その労働力を活用した方が食料生産の効率が上がることが分かってきたのです。

現代においても、牛肉1キログラムを生産するには6~20キログラムの穀物が必要だといわれています。つまり、当時の増え続ける人口にとって、牛を殺して食べるよりも、牛乳を得たり、農作業の労働力として活用する方が合理的でした。

言い換えれば、牛を殺して肉を分け与える立場にいたバラモンにとって、増加した人口に十分な量の牛肉を供給することが難しくなったと考える方が適切かもしれません。しかし、「肉を食べたい」という本能は変わらず、バラモンは依然として牛肉を食していたようです。このような状況に対し、民衆の間で不満が徐々に高まっていきました。

▶ 仏教の影響

こうした社会的な不満が高まる中、「牛の立ち位置」を変える大きな要因となったのが、仏教の登場でした。仏教が生まれた時代は、一言でいうと「一般民衆が苦しんでいた」時代でした。人口の増加に伴い十分な食料が得られず、さらに干ばつや疫病などの影響もあり、人々の生活は困窮していました。

仏教は、ヒンドゥー教とは対照的な教えを打ち出し、その中でも特に「殺生を戒める教え」が特徴的でした。この点は、仏教と同時期に成立し、現在もインドで一定の信者を持つジャイナ教とも共通しています。

仏教自体は明確に牛肉食を禁じていたわけではありませんが、アヒンサー(非暴力)の教義に基づき、殺生そのものを避ける風潮が強まっていきました。その結果、牛を殺すこと自体が道徳的に問題視されるようになったのです。こうした背景の中で、庶民は牛肉を食べることを我慢する一方、バラモンたちは依然として肉食を続けていたため、不満がさらに蓄積されていきました。

▶ ヒンドゥー教の変化と牛の神聖化

仏教が民衆の支持を集める中、ヒンドゥー教のバラモンの中にも、民衆の不満を理解し、対応を考える指導者が現れました。彼らは非殺生の教義を採用し、牛の保護者としての立場を強調するようになりました。これが、ヒンドゥー教において牛が神聖化されたストーリーです。

ヒンドゥー教は、仏教の影響を受ける形で非殺生の教義を強化し、牛の神聖化をより明確に打ち出しました。さらに、後世にはブッダをヒンドゥー教の神格の一つとして位置づける解釈も生まれました。こうして、牛はヒンドゥー教において特別な存在として確立されていきました。

▶ 宗教は社会の変化に適応する

私は、宗教の本質とは、社会を統治するための倫理観や行動規範を定義するものだと考えています。ヒンドゥー教が仏教の影響を受け、非殺生の教義を取り入れたように、宗教は社会の変化に適応しながらその形を変えてきたのです。

このように、宗教は単なる信仰の枠を超え、社会の安定を維持するためのシステムとして機能してきたと言えるのではないでしょうか。


まとめ:ヒンドゥー教徒が牛を食べない理由とは?

ヒンドゥー教徒が牛を食べない理由には、宗教的な信仰、歴史的な社会構造、そして経済的な要因が複雑に絡み合っています。古代インドでは牛が食用とされていましたが、人口の増加とともにその役割が変化し、農耕や酪農の発展に伴い、牛を保護することが重要視されるようになりました

さらに、仏教やジャイナ教の影響を受けると同時に、ヒンドゥー教内部でも社会の変化に適応する動きが進み、非殺生の教義が強調されるようになりました。特に、バラモン階級の中には仏教やジャイナ教の教えに影響を受け、牛を神聖な存在として保護すべきという考えを広める者が現れました。その結果、非殺生の概念がヒンドゥー教の教義の一部として受け入れられ、牛の神聖化が進んでいきました。この変化は単なる宗教的な理由だけではなく、社会の安定や統治のための戦略的な要素も含まれていたと考えられます。

現代においても、多くのヒンドゥー教徒が牛を食べない文化を守り続けています。しかし、都市部と農村部では状況が異なります。都市部では外国文化やグローバル化の影響を受け、牛肉を提供するレストランも見られます。一方、農村部では伝統的な価値観が根強く残り、牛は神聖な存在として扱われ続けています。また、地域や個人の価値観によっても異なり、一部では牛肉が消費されている現実もあります。

牛に対する考え方を理解することは、インドの文化や歴史を深く知るための重要な手がかりとなります。ヒンドゥー教徒が牛を食べない理由は、宗教的な信仰だけでなく、歴史的・社会的・経済的要因が絡み合った結果であるといえるでしょう。

参考文献

この記事を書くにあたり、以下の書評で取り上げた本を参照しています。

【書評】食と文化の謎

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